上様とお殿様

     江戸時代だけを捉えると、「上様」とは大名や旗本の上に立つ幕府のトップである将軍だけが、唯一呼ばれていた名称で、「公方様」とも言われました。

 

 大名のような、領地の支配者は「お殿様」と呼ばれていましたが、江戸時代は旗本以上が「お殿様」と呼ばれ、御家人以下はそう呼べないしきたりだったようです。また、知行取り(知行地持ち)か蔵米取り(お米で給与を貰う)で分ける場合、将軍にお目見え以上とそれ以下で分ける場合があったようですが、目安では200石以上の旗本が「お殿様」と呼ばれたようです。これらから想定すると、領地がありお城や陣屋構えをする大名、知行地があり年貢を取立てる代官所を置くような旗本が「お殿様」だったようです。

 

 よく「金沢城の前田の殿様は100万石だった」とか「ここのお城のお殿様は10万石の所領だった」とかよく聞くと思いますが、これは、どのくらいの年商だったのでしょうか。またどのくらいお殿様がお城で使うことができたのでしょう。

  

 

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