建てた目的と存在の意味は何?

天守閣を建てた目的や天守閣がお城にある意味は、時代によって色々理由があったと思われます。

①戦国時代からその終盤まで

  ・戦いにおいて遠くを眺めて敵情視察して戦闘の指揮をする場所、戦いの最後の砦として利用されました。

 

②伏見桃山時代

  ・戦国時代に数多くの敵を制圧した結果、領地を支配する権力の象徴として建てられました。また、後半には華美な装飾や高層化することによって領民や傘下に治めた戦国大名達に見せることも目的にしました。

 

③関ヶ原の戦い(1600年)から大坂夏の陣(1615年)まで

  ・大坂城に居城した豊臣家やその恩顧大名に圧力をかける徳川家の包囲網創造と徳川家の権力を顕示する目的で、次々と天下普請で建てられました。

   ・一方で、豊臣恩顧の大名も、その圧力に対峙する目的で城を築き、来る戦いに備えて戦国時代と同様の目的で天守閣が建てられたと思われます。

 

④一国一城の令(1615年)以降

   ・この令以降は、基本的には天守閣を新たに建てることは禁止されました。しかしながら、幕府が必要と認められた場合や幕府に認められた改築の場合はその限りではありませんでした。また、火事などで焼却してしまい、城の象徴として再建したい場合は、御三階(御三階櫓)として天守閣の代用を幕府からの許可を得て再築しました。

   ・このように、天守閣は各大名の行政機関の象徴化となる建物として維持されました。

 

⑤江戸時代中期以降

 ・各大名の行政機関の象徴と同時に、維持管理するのにもお金がかかる無用の長物化となり、道具収納など納屋的な使用や施錠したままで開かずの塔化してしまいました。

 

⑥江戸時代幕末

 ・海外からの開港圧力がかかり、幕府は海防強化の必要から城を築かせ天守閣まで建てることを認めたお城もありました。(松前城)

 ・幕府が倒れた後勃発した戊辰戦争や西南戦争では、お城は戦場化して天守閣があるお城では大砲の標的になりました。

  (会津若松城、熊本城など)

 

①池田城 模擬天守閣

 大阪府池田市

・戦国時代初期はこんな天守閣だっ

 たのかも。

②安土城 模型天守閣(安土城

 郭資料館所有)

 滋賀県近江八幡市安土町

 ②伏見桃山城 模擬天守閣

 京都府伏見区桃山

・桃山キャスルランドの目玉施設と

 して建てられたお城(現在建物が

 あるだけ)

③姫路城 国宝

 兵庫県姫路市

・天下普請の代名詞

③彦根城 国宝

 滋賀県彦根市

・こちらも天下普請で、大津城

 天守閣を移築して急拵えさ

 と言われてます。

④宇和島城 重文

 愛媛県宇和島市

・1665年に老朽化の為に許可を得

 て層塔型天守閣に立替え

④新発田城 復元

 新潟県新発田市

・実質は天守閣ではなく御三階