お城のシンボル「天守閣」            シンボルに見せる手法いろいろ         建てた目的と存在の意味は何?     

お城のシンボル「天守閣」

     皆さんは、フォルムの美しさ或いは猛々しさのある「天守閣」を見て、お城に興味を注がれることと思います。

特に、TVや本などメディアからの情報発信では、主にお城=天守閣、天守閣=お城そのものという捉え方をした紹介が多く見られます。しかしながら、まずは天守閣をもっと奥深く知ることによって、お城への興味が倍増することと思います。

                                                                                                    どれだけあったの?

     江戸時代の主要天守閣数は最大で117城あったらしいですが、落雷や地震などの自然災害や火事類焼で1854年までには65城まで減少したと言われています。更に、幕末の戊辰戦争や太平洋戦争や火の不始末などで失われて、現在は国宝の5城と重要文化財の7城の合計12城しか残っていません。

 

    因みに太平洋戦争の空襲によって、江戸時代から残っていた水戸城、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城が灰燼に帰してしまいました。それぞれ古写真が残っており、特徴ある立派な天守閣ばかりだったようですので、本当に残念です。

                                                                                                      今残っているのは?

江戸時代幕藩体制から現在まで残っているお城の天守閣は12城です。

国宝は、松本城、犬山城、彦根城、姫路城と2015年に63年ぶりに指定された松江城の5城です。

重要文化財は、弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の7城です。

                        今残っている国宝 五天守閣

                      今残っている重要文化財 七天守閣

                                                                                                     本物? にせもの?

  今では、ちょっと旅行したりドライブしたりしていると、お城の天守閣をよく見かけると思います。

でもチョッと待ってください。全てが、お城のある場所に昔のままに建っていたわけではありません。

    前述した徳川幕藩体制時代から建っていて国宝や国の重要文化財に指定されている貴重なモノから、太平洋戦争前(戦前)や戦後に建てられたモノがあります。更に、近世建てられたモノの中には、江戸時代に見せていた姿を江戸末期や明治初期に撮影された古写真や図面、礎石等からそのままの姿に復元したモノ、江戸時代の絵図を参考に再現したモノ、想像で姿を再現した所謂模擬のモノなど色々あるのです。

   そこで、その分類を整理してみます。

(天守閣以外の城郭建築にも、下記の分類がありますので、また後で説明しますお城の建物こんな所で見つけたの章) 

                               

 現存

江戸時代に建築された現存の天守閣は12城

(内 国宝は5城、重要文化財は7城)

 松本、犬山、彦根、姫路、松江

弘前、丸岡、備中松山、丸亀、松山、宇和島、高知

    復元

 太平洋戦争で焼失した天守閣は、戦後の城ブームの時に、写真や戦前に残された諸資料によってコンクリート造りで外観復元されました。

また、上記以外のお城でも、江戸時代以降の古写真、図面、発掘礎石を基にほぼ忠実に外形再現(特に近年木造復元が多い)されています。

松前、白石、会津若松、白河小峰、高島、新発田、掛川、名古屋、大垣、福知山、和歌山、岡山、福山、広島、岩国、大洲、熊本
 復興

復元できる根拠がないものの、江戸時代の絵図(正保城絵図、幕府へ

の改築届出書、藩独自絵図)に基づき外形再現、一部破風などを替え

て格好良く再現している場合もあります。

 大多喜、小田原、岡崎、西尾、吉田、岐阜、高田、越前大野、大坂、小倉、島原、杵築
 模擬

天守の形が絵図でも判らず、或いは天守の存在が史実になかったにも

拘わらず、どこかの城の外形を模倣して建築しています。

あちらこちらで見られます。

三戸、横手、上山、関宿、久留里、館山、郡上八幡、墨俣、浜松、清洲、小牧山、伊賀上野、長浜、伏見、岸和田、洲本、今治、唐津、平戸、中津
天守台

消失後再築せずそのままだったり、建築したかったが幕府に

遠慮して天守台を積むことだけで終わった。

 江戸、津、神戸、二条、赤穂 その他

                    太平洋戦争以降に焼失したが外観復元した天守閣